徳島県徳島市の古墳
徳島市名東町の地蔵院境内にあり、築山に取り入れられています。眉山北西の谷間に位置する径20mの円墳で、県内五位(保育社「日本の古代遺跡」)の大型横穴式石室が南西の谷奥に向かって開口しています。石室全長9.3m、玄室長4.3m、幅2.2m、高さ2m、羨道長4.3m、幅2m、高さ1.8mの両袖式ですが、袖部はほとんどありません。結晶片岩の巨石で築かれ、奥壁は1枚石、側壁も垂直に築かれ、床には円礫が敷かれています。七世紀中頃の終末期の築造で、この時期に阿波国で造られた唯一の古墳です。
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徳島市国府町の阿波史跡公園内にあります。気延山南東端の標高45mの尾根上に立地する全長37.5mの前方後円墳です。主体部は後円部中央に墓坑を掘り、結晶片岩の割石を用いて6m×1.3mの竪穴式石室を築いています。床面に粘土を敷き、その上に長さ5.3mの割竹形木棺を安置していました。前方部からは、三角縁神獣鏡も出土しています。気延山周辺の古墳群の中では最も古い三世紀終わり頃の築造で、それまで、積み石塚が主流だった阿波国で初めて築かれた畿内形前方後円墳です。それにしても、子ども達のソリ遊びの跡が痛々しいです・・・。
◆矢野古墳 【管理人推薦】【市史跡】
徳島市国府町の阿波史跡公園北端、徳島市立考古資料館の西にあります。気延山の東の山裾にある径13mの円墳で、気延山古墳群では最後に築かれた巨石墳です。開口する横穴式石室は石室全長8m、玄室長3.8m、幅2.4m、高さ2.5m、羨道長3.9m、幅1.9m、高さ1.9mの両袖式で、袖部は少ししかありません。2003年の発掘調査で、羨道の途中に仕切り石が発見され、羨道部が二つに区画された複室構造であることが判明しました。奥壁は結晶片岩の巨大な1枚石、天井と側壁基底部にも巨石が使用されていて、天井は中央部が一段高くなっています。側壁はやや持ち送っています。
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徳島市上八万町樋口の中子橋バス停のすぐ後ろの丘陵中腹にあります。元ミカン畑の中央の小屋のそばに1号墳、その南50mに2号墳があります。ともに径10mほどの円墳で、保存状態の良い小型の横穴式石室が南に開口しています。1号墳は鏡石に巨石を使用している他は小型の割石で壁を構築した両袖式。2号墳は、奥壁も含めてすべて割石で築かれた左片袖式です。せっかく状態が良い古墳なのに、案内標識など一切なく、薮に埋もれつつあるので、もう少し見学しやすく整備してほしいところです。
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徳島市渋野町の谷間の県道沿いに点在する丸山古墳、新宮塚古墳、天王の森古墳、マンジョ塚古墳、花折塚の5基からなります。丸山古墳は丘陵を切断して築かれた全長90mの前方後円墳で、県下最大の規模です。五世紀中頃の典型的な中期古墳です。後続する新宮塚古墳は、丘陵先端に築かれ、組合せ式石棺が見つかっています。天王の森古墳は、径26mの円墳ですが、主体部は不明です。
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2016年に渋野丸山古墳が史跡整備のために調査されました。全長105m、全周しない周溝を持つ徳島県では最大の前方後円墳です。古墳南側で検出された造出しは東西12m、南北5mの規模で斜面には結晶片岩の葺石が残っていました。造出しの平坦面は後世に削られていましたが、円筒埴輪が二個残っていました。周溝からは他に船形埴輪、家形埴輪、小型丸底壷、高杯、笊形土器などが出土、祭祀が行われていたと思われます。
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