岡山県津山市(旧津山市・久米町)の古墳


煙硝蔵跡 【管理人推薦】【市史跡】

 津山市平福283-1他、佐良山小学校の東400mの丘陵南斜面にあります。元、津山藩の火薬庫として使用されていた3基の石室が保存されていますが、そのうち、2基は古墳の横穴式石室を再使用したものです。しかも2基とも、洒落にならない大型石室ですので必見です。

 ◆2号煙硝蔵跡

 丘陵上にある三栄工業の南側に三叉路があり、東に下っていくと1号煙硝蔵跡があります。この三叉路のすぐ南にも南へ下っていく小道があり、そこに2、3号煙硝蔵跡への道標があります。すぐ目の前にある墳丘が2号煙硝蔵跡とされている古墳です。径22mの円墳で、南東に長大な横穴式石室が開口。現状で全長11.8m、羨道長6.5m、幅1.3m、高さ1.8m、玄室長5.3m、幅1.7m、高さ2.1mの左片袖式で、奥壁には三角形の大きな鏡石を据え、側壁には持ち送りがありません。羨道の途中に、後世の扉跡があり、入口付近も改変されていそうです。しかし玄室は良好にオリジナルな姿が残されています。

改変されてるっぽい石室入口

羨道、奧が見えません

玄室奥壁

奧から、左片袖式

 ◆3号煙硝蔵跡

 2号からさらに下っていくと、3号煙硝蔵跡があります。径30mの円墳で、横穴式石室が南に開口。入室すると奥壁は遥か彼方。全長15m、玄室長12.5m、幅2m、高さ2.1mの右片袖式ですが、全国的に見ても断トツに長い玄室長(2位は9.7m)を素直に信じて良いのか、どうか?奥壁が真四角な1枚石なのに比べて、2号のように明確な袖石がないのが妙にアンバランスです。その一方で、現在の開口部の埋まった状況や開口部手前の石材を考えると、羨道がもう少し長かった可能性も考えられます。とりあえず実測図を作成すれば、かなりのことがわかると思います・・・ので、教育委員会さん、御願いします。

石室正面

長大な玄室

玄室奥壁

奧から袖部付近、右片袖式


カキ谷古墳(B-1号墳)

 津山市種カキ谷、煙硝蔵跡の南の県道449号線を東へ800m進むと、道路沿いに横穴式石室が露出しています。周辺はカキ谷古墳広場となっていて、11月のさら山時代祭の日には、各種イベントが行われている・・・そうです(古墳の前でコンサート?)。全長5.5m、幅1.3m、玄室の天井石は失われています。昭和61年に県道拡張工事で調査され、六世紀末頃の築造で、五回の追葬が行われたことがわかりました。

県道沿いに石室露出、標柱が倒れてます。

石室正面

羨道部

天井を失った玄室奧から


剣戸古墳群

 津山市南西部の佐良山地区一帯に広がる佐良山古墳群のうち、JR佐良山駅南500mのため池裏の山裾に分布する古墳群です。北から尾根ごとに高尾中宮上支群、中宮支群、高野山根支群、剣戸支群に分かれます。

 

 ◆中宮古墳群 【管理人推薦】

 周辺は現存9基の中宮古墳群で、盟主墳の1号墳【市史跡】は六世紀中頃の全長23mの帆立貝式古墳です。墳丘中央部に横穴式石室が開口しています。全長7.8m、玄室長4.3m、幅2.6m、高さ2.2m、羨道長3.6m、幅0.8m、高さ1.4mの右片袖式で、小型の割石を持ち送りながら積み上げて、玄室断面が台形になっています。袖部が広く、古式の石室です。方形部にも小型の竪穴式石室が見つかっています。

石室正面

羨道より玄室

奥壁側

玄門部、右片袖式

 ◆高野山根古墳群 【管理人推薦】

 中宮古墳群の南隣りの尾根にあり、前方後円墳2、円墳1基からなります。2号墳【市史跡】は墳長36mの前方後円墳で、一部に周濠も認められますが、現在墳丘の南側が崩れて崖状になっています。その崖っぷちに横穴式石室が開口。石室見学も命がけです・・・。全長9.5m、玄室長6.2m、幅1.7m、高さ2.2m、羨道長3.3m、幅1mの左片袖式で、割石を積み上げた大型の石室です。西に隣接して1号墳(前方後円墳)がありますが、主軸が90度ずれています。墳長32mで主体部は竪穴式石室と見られています。

石室正面

玄室奥壁

玄門部

1号墳

 ◆剣戸東塚(剣戸14号墳) 【管理人推薦】

 群中、もっとも南の山裾に東、西塚の2基の古墳が並んでいます。東塚は径19mの円墳で、横穴式石室が南東に開口。全長9.5m、幅1.85m、高さ2.1mの無袖式で、奥壁は巨石を使用しています。江戸時代に青年僧と女性信者が石室内で入定したことから、信仰の対象として綺麗に整備されています。

 ◆剣戸西塚(剣戸13号墳) 【管理人推薦】

 東塚のすぐ西に並んでいます。径17mの円墳で、南東に開口する横穴式石室は全長9.7m、幅1.7m、高さ1.75m以上の無袖式です。墳丘、横穴式石室ともに東塚とほとんど同規模ですが、石室床に土砂が堆積し、かなり扱いに差があります。奥壁は横に2石を使用し、玄室に陶棺が埋まっているらしいです。

 ◆剣戸15号墳(仮称)

 剣戸東・西塚古墳のある谷の一つ南の谷の山裾の道沿いにあります。(平家蟹さん発見)径15mくらいの円墳で南に横穴式石室が開口。全長約6m、幅1.5m、高さ1.7mくらいの無袖式で、東・西塚よりは小型の石室ですが、奥壁は一枚石で、保存状態は良好です。

 ◆剣戸古墳群

 東・西塚のすぐ背後の尾根に沿って、1〜12号墳が群集しています。12号墳が帆立貝式で、他は円墳です。1、5、6、7、11号墳で横穴式石室が開口していますが、満足に見学できる物は少ないようです。

7号墳、石室天井部が開口

7号墳、玄室

10号墳、盗掘穴がある

11号墳、石室内はほとんど埋まっている


美和山古墳群 【国史跡】

 津山市二宮、国道179号線と県道338号線の交差点北西の丘陵上にあり、史跡公園として保存整備されています。美作地方最大の前方後円墳と、2基の円墳からなりますが、6号墳も復元されています。

 非常にわかりやすい案内図、集合場所までご指定

 1号墳、全長83m、後円部径50mの前方後円墳で、葺石あり。戦国時代の土塁の痕跡も残っている。

 2号墳、径40mの大型円墳で、二段築成、葺石、円筒埴輪が確認されている。

 3号墳、径40mの大型円墳で葺石、円筒埴輪が確認されている。南側で円筒埴輪棺を発見。

 6号墳、径17mの円墳だが、ほとんど削平されていたのを盛り土して復元された。


田邑丸山古墳群

 津山市下田邑。津山総合流通センターの北東にある丘陵上に現状保存されています。北側に古墳公園があり、そこから遊歩道で登っていけますが、現在メンテされてないのか、道が荒れています。前方後方墳1、円墳4基からなり、まともに見学できるのは、遊歩道を登った左側にある1号墳くらいです。1号墳は径35mの円墳で主体部は竪穴式石室です。西隣の2号墳は全長40mの前方後方墳です。

  1号墳


久米三成4号墳 【国史跡】

 旧久米町中北下の丘陵上、密厳寺裏の墓地横にあります。墓地の造成中に発見されましたが、現地保存されています。長さ35mの前方後方墳ですが、隣接する2基の方墳との説もあります。主体部は前方部、後方部に各1基、後方部墳丘に3基の計5基の組合せ式石棺が確認されています。

  第1主体部


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