大分県宇佐市川部・高森古墳群


 

 宇佐市高森字京塚、駅館川右岸の台地にあり、古墳群の主要な部分は宇佐風土記の丘として史跡公園化されています。前方後円墳6基を中心に、円墳、周溝墓120基が分布しています。宇佐地方の支配者一族の大古墳群で、3〜6世紀にわたり築造されました。公園内にある大分県立歴史博物館に出土品の一部が展示されています。


赤塚古墳 【国史跡】

 全長57.5m、後円部径36mの前方後円墳で、周囲に空濠が巡ります。三世紀末の築造で、九州最古の前方後円墳とされています。主体部は箱式石棺で、椿井大塚山古墳と同范の銅鏡が出土していて、ヤマト政権から分け与えられたものと考えられています。

 


赤塚方形周溝墓群

 赤塚古墳の西から南西部に、4〜5世紀に築かれた20基ほどの方形周溝墓があり、現在は埋め戻されて、その上に復元されています。埋葬施設は箱式石棺や土壙墓、礫積小石室と様々です。

奧から3〜7号墓

4号墓箱式石棺

5号墓土壙と箱式石棺

6号墓箱式石棺

7号墓箱式石棺

15号墓箱式石棺、石枕付き

16号墓

16号墓箱式石棺、石枕付き

17号墓


鶴見古墳 【国史跡】

 全長31m、後円部径22mの前方後円墳で、極端に短く幅の広い前方部が特徴です。周溝は二ヶ所に土橋があります。主体部はくびれ部に開口する横穴式石室で、羨道がなく、3×2.2×2.7mの両袖式の玄室に直接、ハの字に開く墓道が付いています。玄室は床が低くなっており、天井はドーム状です。6基の中で最後に築かれた前方後円墳と考えられ、墳丘、石室は築造当時の姿に復元されています。

墳丘

石室入口と墓道

玄室


角房古墳 【国史跡】

 駅館川の段丘に沿って4基の前方後円墳が並んでいます。北端の角房古墳は全長46m、後円部径30mの前方後円墳で、周溝が巡ります。墳丘は現在、後円部の一部しか残っておらず、発掘調査で全容がわかりました。主体部は未調査のため不明です。

 


車坂古墳 【国史跡】

 全長58m、後円部径36mの前方後円墳で、南から東側にかけて広い空濠がありました。未調査のため、詳細は不明です。ところで、説明板に「葺石 有」と書くところを間違えて「墓石 有」と書いています。見た所、墓地ではなさそうですが・・・。


地蔵堂古墳、車坂方形周溝墓群

 車坂古墳の西側の林の中に、地蔵堂古墳があります。小円墳ですが、詳細はまったく不明です。また、南側の広場には五世紀後半頃の方形周溝墓が数基みつかっています。現在1、2号墓が復元されています。

地蔵堂古墳

車坂1号方形周溝墓

車坂2号方形周溝墓?


車坂東古墳群

 車坂古墳の東の公園内道路沿いのあちこちに小石室が露出しています。いずれも腰石の上に川原石を積み上げた構造です。1号墳は3×1.5mの竪穴系横口式石室で、羨道がなく、入口がハの字に開いています。2号墳は周溝を持つ径8mの円墳で、主体部は2.1×0.8mの竪穴系横口式石室です。3号墳は小サイズの竪穴系横口式石室。4号墳は2.1×0.6mの石棺系石室です。

1号墳

2号墳

2号墳

3号墳

4号墳

4号墳


福勝寺古墳 【国史跡】、福勝寺墳墓群

 全長80m、後円部径53mの群中最大の前方後円墳で、周溝はありません。墳丘の南東側が大きくえぐられています。未調査ですが、五世紀前半頃の築造と思われます。東から南にかけて、箱式石棺墓、土壙墓、小円墳からなる福勝寺墳墓群が分布していますが、そのうち、箱式石棺が1基露出しています。

福勝寺古墳

福勝寺墳墓群の箱式石棺


免ヶ平古墳 【国史跡】

 全長50m、後円部径28mの前方後円墳ですが、前方部はすでに削平されています。古墳群の中では赤塚古墳に次いで古い四世紀後半の築造で、空濠が巡ります。主体部は後円部中央にある5×1mの長大な竪穴式石室で、割竹形木棺が納められていました。また、石室のすぐとなりから箱式石棺も出土しています。石室と同時期と思われ、20歳くらいの女性の人骨が一体分残っていました。埋葬施設は現在保護施設内にあり、訪問時は残念ながら見学できませんでした。北側の林の中にも、小円墳が1基あります。

墳丘、復元されているっぽい

埋葬施設の保護施設・・開いてない

竪穴式石室と箱式石棺

北側にある小円墳


川部遺跡

 免ヶ平古墳の東から南側に広がる川部遺跡では、4〜5世紀の低方墳20基、5〜6世紀の低円墳19基、土壙墓10基が見つかっています。1号墳は溝で区画された低方墳で、五世紀後半の円筒埴輪が見つかっています。

1号墳、墳丘上に円筒埴輪を復元

こちらは円墳か?

1号墳から見た円墳群

方墳の箱式石棺


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