和歌山県和歌山市東部の古墳


小倉古墳群

 和歌山市金谷、明楽山(鳩羽山)北麓の標高70m〜170mの急斜面にほぼ一直線に連なる8基の古墳からなり、1、8号墳で横穴式石室が残存しています。現在、最も低い位置にある1、2号墳以外は、立ち入りができず見学不可です。集落の奥にある小倉神社の南東の谷間を10分ほど登っていくと、大きなため池があり、その東側斜面に1号墳があります。径15mほどの円墳ですが、墳丘はかなり破壊され、露出する横穴式石室も玄門部付近しか残って居ません。玄室幅2.1m、羨道幅0.9mの両袖式です。北側に2号墳の墳丘があります。

1号墳、石室正面より玄門部

1号墳、玄室側壁部

1号墳、玄室奥から

2号墳

明楽古墳群

 和歌山市金谷、上記の小倉神社西の道を南へ進むと、ため池に突き当たります。そこから右側の尾根上に登ると、稜線上に14基の古墳が南北に一直線に分布しています。そのうち、横穴式石室が見学できる4、5号墳は、200mほど南へ登っていくと、少し開けた場所があり、その左(東)側に隣接して並んでいます。尾根に近い側の5号墳は径16mの円墳で、西向きに開口、天井石がほとんど失われていますが、全長6.5m、玄室長3.3m、幅2.1m、羨道幅1.4mの両袖式で、袖石には柱状に石材を立てています。すぐ奥にある4号墳は径20mの円墳ですが、天井石の失われた横穴式石室が露出しています。玄室長3.7m、幅1.9m、羨道長2.8m以上、幅1.3mの両袖式で、袖部には柱状に巨石を立てています。南側に6号墳がありますが、石室の跡の窪みが有る程度です。

5号墳、石室正面より

5号墳、玄門部

5号墳、玄室奥壁

5号墳、奥から

4号墳、石室正面より玄門部

4号墳、玄室奥壁

4号墳、玄室奥から

4号墳、奥側より

7号墳か?

6号墳

寺山古墳群 【管理人推薦】

 和歌山市新庄、明楽山北麓の広い台地状地形に築かれた27基以上からなる群集墳で、県立和歌山高校裏の竹薮の中にあります。岩橋千塚古墳群の東4kmにあたりますが、主体部の多くが蛇紋岩で築かれた、玄室前道を持たない大和型の横穴式石室であり、岩橋型とは明らかに異質な存在です。

 ●1号墳

 群の北西の丘陵先端部にある径10m、高さ2mの円墳で、墳丘は前半分が削られています。半壊状態の横穴式石室は北(平野側)に開口し、玄室長0.75m、幅1.75m、高さ2m、羨道幅1.1mの片袖式で、わずかに残った奥壁側は側壁を持ち送って天井部の幅は0.2mしかありません。

正面より

持ち送りの急な玄室

 ●2号墳

 1号墳の東隣りにある一片10mくらいの方墳で、北、西側に二段に積まれた石垣が見られます。横穴式石室は天井石が失われていますが、南に開口し、玄室長2.5m、幅2.2m、羨道長2m、幅1.2mの両袖式で、玄門部には柱石を立てています。石材は蛇紋岩の他に、一部結晶片岩を使用しています。

羨道より玄門

奥壁より玄門

 ●3号墳

 2号墳の南隣りにある径10mの円墳です。玄室の上半分の石材が抜かれていますが、平面プランはよくわかります。玄室長2.5m、幅1.7mの左片袖式で、羨道は内部が埋まっていますが、玄門部で幅1.2mです。

奥より、玄門部

玄室、左が奥壁

 ●7号墳

 3号墳の南に4、5、6、7号墳の4基の小円墳が固まっています。このうち、7号墳の横穴式石室が開口していますが、玄室がかなり埋まっていて、内部には入れません。全長4mくらいの右片袖式です。

正面より

石室内部、奥の玄室は土砂がかなり流入

 ●8号墳

 7号墳の西20mにある14m×16mの楕円形墳で、南北に2基の横穴式石室が開口する双室墳です。北石室は全長5.5m、玄室長2.7m、幅2.1m、高さ2.5m、羨道長2.7m、入り口幅1mの右片袖式で、羨道の前に4mほどの前庭がつきます。奥壁は巨石三段積みでその上に、天井石が一枚、前方に傾斜するように架けられています。前壁も傾斜しているので、全体として、かなりドーム状になっています。南石室は全長3m、幅1.1m、高さ1.5mの小規模なものですが、玄室と羨道が屈折して、教習所のクランク状態になっています。

正面より、右が北石室

北石室奥壁、巨石三段積み

北石室玄門部

南石室

12号墳

 群のほぼ中央部に位置する径10mの円墳で、横穴式石室の天井石が完全に露出しています。玄室長3.6m、幅1.7m、羨道長2.6m、幅1mの左片袖式で、蛇紋岩の自然石で構築されています。この南側(山側)に11、27、9、10号墳がありますが、11号墳で玄門部が見えている程度です。

露出した天井石

石室内部

13号墳

 12号墳の北に、13、14号墳が隣接して並んでいます。13号墳は一辺8mの方墳で、横穴式石室が東に開口しています。全長4.5m、玄室長2.9m、幅1.2m、羨道長1.5m、幅0.9mの左片袖式で、玄室天井部が崩壊して、内部を覗くことができますが、内部はかなり埋まっています。石材は蛇紋岩の小型の自然石を使用し、羨道も屈曲していて、あまり手をかけていない印象です。

石室正面

玄室が天井から覗けますがかなり埋まってます

14号墳

 一辺10mの方墳で、横穴式石室が東に開口し、ほぼ完存しています。全長5.8m、玄室長1.8m、幅2.3m、羨道長4m、幅1mの両袖式で、玄室は丁字状です。玄門、天井には巨石を使用し、側壁の持ち送りも少なく、見るからにしっかりした造りで、13号墳との差は歴然です。

15号墳

 台地先端部の一等地に立地する一辺25mの最大の方墳で、一部に貼石が残っています。東に開口する横穴式石室も最大で、全長8m、玄室長3.1m、幅2.1m、高さ2.8m、羨道長4.9m、幅1mの両袖式で、奥壁は巨石三段積み、盟主墳に相応しく県下でも有数の規模です。さらに、この古墳で特筆すべきは奥壁と羨道天井に絵画らしきものがあるということですが、二回訪問して綿密に探しましたが、残念ながらどれがそうなのか、特定できませんでした。羨道部がやや崩れて埋まっていて、しかも途中に竹が生えているので、玄室までたどり着くのは太めの人にはちょっと困難かも。

石室正面、入り口はかなり埋まっている

玄門部より羨道

奥壁、現状では装飾はまったくわからない

20、21号墳

 群の東端に20、21号墳が並んでいます。ともに径10mほどの円墳ですが、横穴式石室の存在を思わせる石材が見えています。

20号墳、石材散乱

21号墳、石材がわずかに見えている


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