京都府南丹市(旧八木町)の古墳


坊田古墳群 【管理人推薦】

 京都府指定史跡。旧八木町字柴山小字坊田にある方墳1、円墳4基からなる古墳群で、主体部はすべて横穴式石室です。京都府立丹波養護学校の敷地内に5号墳、学校北側の山林内に1〜4号墳が分布しています。5号墳は学校の建設時に調査され、現在も敷地内に現地保存されています。径16mの円墳で、裾部に積み石があり、周溝、外堤も認められます。横穴式石室は南東に向き、全長10.1m、玄室長3.8m、幅2.15m、高さ2.4m、羨道長6.3m、幅1.8m、高さ1.9mの両袖式で、巨石を使用した大型石室ですが、残念ながら、埋め戻されて、天井石の一部だけが露出しています。

 すぐ北側の山林にある1号墳は一辺18m、高さ4mの唯一の方墳で、横穴式石室は南南東に向き、羨道部の天井石が崩れて中には入れませんが、天井の隙間からわずかに覗くことができます。玄室長4.8m、幅2.3m、高さ2m、羨道長2m、幅1.3m、高さ0.65mの両袖式で、5号墳と比べると羨道が小さく、現存寸法なのかも知れません。

高さのある墳丘

天井石が露出

天井部にわずかに隙間がある

石室内部、完存しています

 集落から山林へ入っていくと、道路の北側に2〜4号墳があります。2号墳は径8mの円墳で、天井石が一部露出しています。3号墳は墓地となっていて、横穴式石室が完存しています。径15mの円墳で、石室は東に開口。玄室長3.8m、幅1.7m、高さ1.85m、羨道長3.5m、幅1.05m、高さ1.1mの右片袖式で、奥壁は鏡石一枚、天井は巨石三枚で構成し、羨門はハの字に広がっています。京都府遺跡地図の石室データは間違っているようです。4号墳は墳丘がかなり破壊されていますが、径10mほどの円墳で、石室も大きく破壊され、奥壁と左側壁の一部だけが残っています。現存長3.6m、幅1.2m、高さ1.5m以上、3号墳とは違い、小型の石材で築かれています。

2号墳墳丘

2号墳の露出した天井石

3号墳

3号墳石室開口部、ハの字に開く

3号墳玄室奥壁

3号墳玄室奥から外

4号墳石室

4号墳奥壁

神田古墳

 旧八木町字八木島小字神田、京都縦貫道八木東インターの西500mの山裾、春日神社横の山林内にあります。墳丘はほとんど残っていませんが、径7mほどの円墳で、横穴式石室の石材が露出しています。

 

小谷古墳群

 旧八木町字八木小字小谷、八木駅の南600m、春日神社から京都縦貫道に沿って谷間の奧へ進むと、高架が池を跨いでいます。この池の北側の山林内に1号墳、池の南の林道沿いに3〜16号墳が分布します。1号墳は径15.3mの円墳で、天井石を失った横穴式石室が露出。玄室長4m、幅1.5m、羨道長1.5m以上、幅1.3mの右片袖式で、羨道部先端は崩壊しています。2号墳は位置的には自動車道の下。高架を越えて南側の林道を進むと、左右の山林内に古墳が点在しますが、ほとんどが盗掘されており、8号墳だけがかろうじて天井石が残り、石室らしさが残っています。

1号墳、石室正面から

1号墳玄室奧から

3号墳?

7号墳?

8号墳、天井石が露出

5号墳?、石材露出

6号墳?

10号墳?

11号墳?

城谷口古墳群

 旧八木町字北広瀬、筏森山西側の小さな谷間に築かれた古墳群で、2006年に八木工場団地北広瀬地区開発事業に先立ち、調査されました。方墳5基以上、円墳10基以上からなる群集墳で、そのうち、1〜3、6〜13号墳が調査されました。うち、3号墳のみ良好に遺存していたため、主体部は調査せず現状保存されることになりました。

  調査時の様子

 

                  2号墳から出土した珍しい蛇行剣(下側)

1号墳、周溝をもつ6世紀後半、径11mの円墳で、墳丘には二列の石列が巡る。無袖の横穴式石室の基底部が残存。

2号墳石室、玄室は2.6m×1.9mの両袖式で、左の側壁は石が抜かれている。石障で屍床を造る九州タイプ。

2号墳袖部の須恵器の転用枕。後に障石を壊して追葬が3回以上行われている。南九州に多い蛇行剣が出土。

3号墳、一片20m以上の方墳で、主体部は木棺直葬と思われる。葺石が一部残存。4〜5世紀の築造。

6号墳、12×8mの方墳で葺石をもち、幅4mの周溝が巡る。五世紀の築造で、鉄製品が出土。

8号墳、周溝が巡る径7mの円墳で、主体部は無袖の横穴式石室。六世紀後半の築造で、床面が良好に残存。

10号墳、周溝が巡る径10mの円墳。無袖の横穴式石室の床面が良好に残存。六世紀後半の築造で、追葬あり。

11号墳、周溝が巡る径10mの円墳で、無袖の横穴式石室の床面が良好に残存。棺台がよくわかる。

12号墳、周溝が巡る径12mの円墳で、無袖の横穴式石室の床面が良好に残存。頭骨が二体出土し、追葬あり。

12号墳石室、奥壁側より。敷石も完全に残存。調査中で、遺物も一部原位置のまま。


<ホームへ戻る>

inserted by FC2 system