熊本県山鹿市肥後古代の森山鹿地区


チブサン古墳 【管理人特選】【国史跡】【装飾古墳】

 山鹿市城字西福寺、山鹿市立博物館の北東500mにあるあまりにも有名な装飾古墳です。全長44m、後円部径23mの前方後円墳で、段はなく、埴輪・葺石が認められます。くびれ部にかつて武装石人が置かれていましたが、現物はなぜか東京国立博物館にあり、古墳の横にレプリカが置かれています。後円部中央に横穴式石室がありますが普段は封鎖されています。現存長6m、後室長3.6m、幅3.6m、高さ4m、前室長1.9mの複室構造で、後室は割石を持ち送りながら高く積み上げています。奥壁の前に2.3m×0.9m×1.45mの精巧な家形石棺が置かれています。石棺の前にも屍床が置かれていた痕跡があります。装飾は石棺の内面や屋根などに描かれています。右側壁には連続菱形紋と円紋を赤・白・青で塗り分けられています。正面は四枚の板石が並べられていましたが、一枚失われています。残った三枚には連続菱形紋と二個の同心円紋が赤・白・青で描かれています。この二個の同心円紋が女性の乳房に見えることが古墳名の由来とされています。左側壁には全面を赤く塗った上側に白い円紋八個、下側に冠を被って両手を上げた人物像を白色で、その横に白・青で三角紋が描かれています。屋根の前面にも赤く彩色された三角紋、菱形紋が連続して描かれています。石室内の見学は山鹿市立博物館で申し込めば、一日二回、10時と14時に見学ツアーが行われます。熊本県立美術館装飾古墳室に石棺の、装飾古墳館に石室のレプリカがあります。

墳丘

横穴式石室と家形石棺の装飾図

元、墳丘に置かれていた武装石人のレプリカ

前室から後室、装飾古墳館のレプリカ

後室奥壁と装飾のある美しい家形石棺

向かって左側の装飾、赤・白・青の菱形紋、円紋

向かって右側の装飾、赤・白・青の菱形紋、同心円紋、有名な人物像など


西福寺古墳群

 山鹿市城字西福寺、山鹿市立博物館から北へ古代への道を進むと古墳の森に行き着きます。ここには風土記の丘の整備事業で発見された西福寺古墳群が保存されています。円墳1、方形周溝墓2、箱式石棺12基からなり、一部復元で、他の古墳の石棺も多数移築展示されています。1号墳は墳丘もほとんど残って居ませんでしたが、周溝が発見されて円墳とわかりました。現在墳丘が復元されて、中央がトンネルの通路になっています。2号方形周溝墓は一辺12.5mで周溝の一部に土橋が架かっています。墳丘はほとんど削平された状態でしたが、箱式石棺の部材が発見されました。

1号墳

2号方形周溝墓

 第1号石棺は185cm×40cmの大きさで、西側を割石を積んでおり、竪穴式石室のような構造です。2号は凝灰岩の割石で構成され、193cm×30cmのサイズ。床を粘土で固め、男性の人骨が一体埋葬されていました。古墳時代中期の築造です。3号は2号とと形態が似ていますが粗雑な造りだそうです。近接する4、5号は採土により破壊され、一部が残るのみです。5号内部は赤く塗られていました。6号は新しく発見された箱式石棺で未調査です。7号は箱式石棺だったと思われますが、完全に破壊されていました。

第1号石棺、竪穴式石室風

第2号石棺

第3号石棺

右が第4号、左が第5石棺

第6号石棺

第7号石棺、ほとんど埋まっている

 8、9号石棺は近接しています。8号石棺は小型の箱式石棺で、未調査のため内部は不明ですが、女性か子供の墓と思われます。隣の9号は8号と平行しているため、関連性が考えられます。10号石棺も未調査の箱式石棺で、構造はほとんど同じです。

第8、9号石棺、ほとんど埋まっている

第10号石棺

第12号石棺

 ここからは移築石棺のご紹介。石塚石棺は嘉島町北甘木出土で、一帯は7基の箱式石棺群となっています。内部は赤く塗られ、石材の隙間は粘土で埋められていました。秋永遺跡第5号石棺は益城町の秋永遺跡の工場予定地から出土し、計7基の箱式石棺が見つかりました。内部は赤く塗られ、床には木炭が敷かれ、鉄剣が副葬されていました。原部石棺は鹿本町来民出土で、山鹿高校考古学部が発掘したそうです。

石塚石棺

秋永遺跡第5号石棺

原部石棺

 舞野第1号石棺は山鹿市平山舞野出土で、内部に粘土で枕が造られていました。第2号石棺は二体の人骨が埋葬されていました。粘土の枕を造り、小型の国産鏡が出土しました。ともに古墳前期のものです。竜宮石棺は小原竜宮で工事中に発見された舟形石棺で、小口側に縄掛突起がついています。元竜王山石棺は出土場所は不明で、元竜王山の山腹に復元されていたものがこの場所に移されたものです。長さ2.3mの家形石棺で、古墳中期のものです。

舞野第1号石棺

舞野第2号石棺

竜宮石棺

元竜王山石棺


オブサン古墳 【管理人推薦】【国史跡】【装飾古墳】

 

 山鹿市城字西福寺、古墳の森の隣りにあり、整備公開されていますが、熊本地震のため、現在石室内には立入禁止となっています。径22mの突堤付き円墳で、馬蹄形の周溝が巡ります。墳丘の左右前面の突堤の間は広大な前庭となっており、その奧に大型の横穴式石室が開口。全長8.5m、前庭部を含めると16.5m、前室長2.1m、幅2m、後室長3.8m、幅2.8mの複室構造で、奥壁前に石屋形があり、前室、後室左右にそれぞれ屍床が設けられ、平石が敷かれています。石屋形と後室左右仕切石は破壊されていたのを復元しています。装飾が奥壁と右屍床の仕切石にあります。奥壁には赤色で靭か盾が描かれているとされていますが、現状ではほとんどわかりません。右屍床仕切石前面には赤色で連続三角紋が描かれています。古墳の説明板の所に前室、後室の閉塞石が展示されていて、西南戦争の弾痕跡が残っています。

石室正面

後室玄門

後室奥壁の石屋形

奥壁装飾の赤色の痕跡

後室右仕切石の赤色彩色の連続三角紋

前室奧から

保存展示されている左が前室、右が前室の閉塞石


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