福岡県八女市の古墳
八女市吉田1380、岩戸山古墳の西150mにある径30mの円墳です。主体部は三室構造の横穴式石室で、全長7.5m以上、羨道付近以外は良好に残っています。各室とも、すべて結晶片岩の巨石を使用して、奧・側壁・袖石を箱形に構築しています。中世には信仰の場となっていたため、奥壁に卍の文字が刻まれています。七世紀初め頃の築造です。
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八女市吉田1549、市の北端の広川町との境界にあり、国道3号線に標識が出ています(駐車場は福島高校前交差点を西に入る)。全長135m、後円部径60m、前方部幅90mの前方後円墳で、空濠と周堤が巡ります。墳丘の南側は神社のため、かなり破壊されています。後円部の北東に一辺43mの別区と呼ばれる広場があり、石人・石馬などの石製品(重要文化財)が多数出土しました。現在は複製品が別区に並べられています。六世紀前半の筑紫君磐井の墓と考えられています。
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古墳の南側に隣接して、岩戸山資料館があり、石人・石馬の実物が展示されています。
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八女市吉田1640、岩戸山古墳の東300mにあります。全長70m、後円部径30mの前方後円墳で、周濠、周堤がかつて巡っていましたが、今は周囲を削平されています。石人も存在したようです。主体部は複室構造の横穴式石室で、全長10m以上、後室長3.3m、幅2.5m、高さ3.1m、前室長1.9m、幅2.2m、高さ2.4m、羨道幅1.5m、高さ2mの規模。奧、側壁は下部に大きな腰石を据え、その上に割り石を平積みしています。後室の袖石の前には珍しい添石があり、前室のマグサ石上には透かし窓があります。装飾は後室奧・両側壁、前室両側壁、袖石に赤・青・黄で連続三角紋、円紋、靫、同心円紋、蕨手紋、翳などが描かれています。一部線刻も認められます。石室は保存工事を受けましたが、装飾の傷みが著しいため、現在見学はできません。岩戸山古墳に次ぐ六世紀中頃から後半の築造で、磐井の息子の墓と推定されています。
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八女市宅間田1002、乗場古墳の東1km、善蔵塚古墳の南東200mにあります。径33m、高さ5.3mの大型円墳で、周溝が巡っていたと思われます。主体部は複室構造の横穴式石室で、全長8m、後室長3.4m、幅2.7m、高さ3m、前室長1.6m、幅1.9m、高さ1.6m、羨道幅1.5m、高さ1.7mの規模で、構造、サイズとも乗場古墳石室とそっくりですが、円墳というところに身分の差を感じます。装飾は後室奧壁腰石に赤・緑・黄で蕨手紋、三角紋など、後室玄門袖石に赤・緑で連続三角紋、対角線紋、前室玄門袖石に赤で三角紋、対角線紋が描かれています。円紋、同心円紋は描かれて居ません。六世紀後半の築造で、石室は埋め戻されています。
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八女市宅間田967、善蔵塚古墳の東200mにあります。径25m、高さ5.3mの円墳ですが、墳頂が大きく陥没して変形しています。出土した円筒埴輪から六世紀頃の築造と考えられます。
八女市豊福、善蔵塚古墳の東200mにあります。全長87.5m、後円部径40mの前方後円墳で、空濠が巡ります。主体部は複室構造の横穴式石室で、江戸時代に天井石が抜かれた時に崩壊埋没していましたが、2003年に発掘調査が行われ、久しぶりに姿を現しました。後室長3.7m、幅3.1m、高さ2.7m以上の規模で、花崗岩の巨石を腰石とし、その上に緑泥片岩の割石を平積みしています。石室内は赤く塗られ、腰石には意味不明な直線状の溝が刻まれていました。天井石は現在、八女市役所西の八女公園内にある「戦没者慰霊碑」に転用されているそうです。石室からは青銅鏡の破片が出土。表面に人の毛髪やハエの蛹の殻が付着していて注目されました。また、2005年の調査では、前方部の周濠から状態の良い武装石人(重要文化財)が出土しました。近くにある豊福石人と良く似ており、豊福石人も本来はこの古墳に立てられていた可能性があります。
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