熊本県八代市南部(日奈久地区)の古墳


五反田古墳 【市史跡】【装飾古墳】

 八代市敷川内町五反田1191、敷川内公民館南側の民家の庭内にあります。板石積みの横穴式石室ですがかなり破壊され、下側の石障付近だけが残っています。現在の姿もかなり復元されたものらしいです。奥壁と左側壁の二つの石障に各2個の円紋が陰刻されています。野ざらし状態で、円紋が一部剥落しており、状態はよくありません。オーナーさんも、今後の保存方法をどうすべきか悩んでおられるようです。

民家の庭内に装飾石障が残る

石障奧側から

左側石障の円紋

左側石障奧側の円紋

左側石障前側の円紋

奥壁側石障の円紋

奥壁側石障向かって左の円紋

奥壁側石障向かって右の円紋


田川内1号墳 【管理人特選】【県史跡】【装飾古墳】

 

 八代市日奈久新田町2083、国道3号線から踏切を渡ってすぐ標識があり、その先の田之川内天満宮(菅原神社)境内にあります。石室の鍵は手前の民家(森下さん)で貸し出しています(くまモン付き)。縄紋時代の貝塚の上に築かれた径20m以上の円墳と思われますが、現在の姿は大きく補修されたものです。横穴式石室は単室構造で、玄室長2.4m、幅2.3m、高さ1.96m、四方の壁に石障が巡らされ、その内側に仕切石で屍床をコの字形に設けています。奧の屍床には屋根と袖石を設け、石屋形風に造っています。また、入口側と奥壁前の仕切石にはU字形のくり込みがあります。石障の上部は板石を持ち送っています。石室内は真赤に塗られ、多くの円紋の線刻が見られます。左右奧の石障に各三個の二重円紋、入口の石障の前後に各二個の二重円紋、奧の仕切石に三個の一重円紋が刻まれています。これらはいずれもコンパスを使わない不正確な円形です。奧側屍床の向かって右側の板石の右上にも円形の加工痕があります。また、左側屍床の仕切石前側は何かの加工痕が断ち切られています。五世紀後半の築造で、石室、装飾ともに良好に保存されており、しかも内部に入って間近に思う存分見学できる数少ない貴重な装飾古墳です。最近、装飾古墳一斉公開日にも公開されるようになりました。

墳丘の現状、ほとんど保護施設状態

短い羨道

玄門部、石障に二個の二重円紋

玄室奥壁と奧側屍床

玄室奥から、石障にU字形のくり込み

玄門部と左側屍床

玄室奥側石障の三個の二重円紋と、手前の仕切石の三個の一重円紋

玄室左石障の二重円紋拡大、不正確な円形

玄室右石障の二重円紋、中央のは剥落しているが、過去の拓本が残っている

玄室左仕切石は何かの加工跡を断ち切っている


田川内3号墳装飾石材 【装飾古墳】

 1960年に1号墳の墳丘の南側の薮から二つの装飾石材が見つかり、3号墳の存在が想定されました。しかし、その所在地はまったくわかっていません。石材のうち、一つは二重円紋が一つ、もう一つには一重円紋が一つ陰刻されていましたが、現在は二重円紋の石材のみが残っていて、1号墳の石室前に保管されています。2号墳はかつて神社北側の畑の中にありましたが、ほとんど消滅し、現時点では確認できません。2号墳にも装飾石材が一つありましたが、現在行方不明になっています。

3号墳の装飾石材

二重円紋の線刻拡大

もう一つ、謎の石材も置かれている


長迫古墳装飾石材 【装飾古墳】

 元、田川内1号墳の北500mに存在した古墳ですが、すでに消滅し、4枚の装飾のある石障石材が知られています。うち、一枚が日奈久大坪町の国道3号線沿いにある日奈久阿蘇神社境内に残されています。2.1×0.85×0.12mの大きさの砂岩の板石で、上縁から紐で吊された鏡と思われる同心円紋が4個並んでいましたが、現在はまったく磨滅してしまっています。ひょっとしたら、倒れている裏側にあるのかも?たまたま散歩していた年輩の人に聞くと、昔は台石の上に立てられていたそうです。他の三枚のうち、一つは現在東京国立博物館に保管されていて、二つ目は元個人所蔵でしたが現在京都大学にあるとか。

鳥居の脇にある

台石の後ろに倒れてしまっている

装飾はまったく確認できない。上下逆のような気もするが。。。

 最後の装飾石材は田川内1号墳の南300m、日奈久山下町2514の農家の庭に保存されています。上縁から紐で吊された三個の二重円紋が陰刻で表現されていますが、左端の紋様は半分欠けています。磨滅が進んでいますが、かろうじて確認できます。

農家の庭に屋根付きで保存

二重円紋が2.5個残っている

左端は半分欠けている

右端の二重円紋


竹内神社石棺

 八代市日奈久竹之内町、日奈久温泉駅すぐ北側の国道3号線から踏切を渡ってすぐにある竹内神社の境内に組合せ式箱式石棺の蓋が立てられています。元々は神社脇を流れる谷川に橋として架けられていたもので、現在も側壁を組み合わせるための溝が良く残っています。この石棺を主体部とする古墳は現在の線路付近にあったらしいですが、詳細は不明です。五世紀後半の築造と思われます。神社の近くの民家庭にも石棺材があり、こちらも箱式石棺の一部材と思われます。表面に後世彫られた浮彫があり、他の石仏とともに祭られている状況から、石棺仏に転用されていたようです。

社殿の左側にある

正面から

裏側

近くの民家庭にある石棺材(右側)

下側は表面が剥がれている

上部の浮彫を拡大

 


竹之内古墳 【市史跡】

 八代市日奈久竹之内町、竹内神社から谷川に沿って少し登り、家が途切れたら、左の竹林の中へ入って丘陵先端まで戻った所にあります。小型の横穴式石室が破壊された状態で露出しています。鬼の岩屋式石室としては南限に当たり、六世紀後半頃の築造と推定されています。石材の一部が近くの善立寺の礎石として使用されているそうです。なお、上記の竹内神社石棺材が出土した古墳を、この市史跡・竹之内古墳と混同している資料が多いので注意が必要です。

竹林内に石室露出

側壁の一部が残存


<ホームへ戻る>

 

inserted by FC2 system