三重県四日市市の古墳


八幡古墳

 四日市市平津町の八幡神社境内にあります。墳丘はほとんどなく、地表下に埋め込まれるように石室が築かれています。市内では唯一開口した横穴式石室で前室が埋まっていますが、複室構造と見られます。玄室長2.7m、幅1.2mで、やや胴張りです。

古墳の現状

開口した奥壁側

奥壁

奥より、埋まった前室側


広古墳群 【A支群1、2号墳が県史跡】

 四日市市大鐘町、東名阪道の西側の台地上にあり、山裾の道路に説明板があります。そこから、崖を登っていった標高38m地点にA支群、その北西150mの標高54m地点にB支群があります。A支群は、方墳2、円墳2基からなり、方墳は一辺16mと12mで、隣接しています。円墳は径11.7mと10mの規模です。(※画像は古墳を取り違えているかも知れません)

A1号墳、一辺16mの方墳

A2号墳、一辺12mの方墳

A3号墳、林の中にある径11.7mの円墳

A4号墳、林の中にある径10mの円墳

 B支群は、方墳2、円墳1基からなり、方墳は一辺31mと6.7mで、大きい方は突出部をもちます。円墳は径21.8mの規模です。B支群は、薮に覆われているので、全体像が良くわかりません。

B1号墳、一辺31mの最大の方墳、突出部はよくわからない

B3号墳、一辺6.7mの方墳

B2号墳、径21.8mの円墳


筆ヶ崎古墳群

 四日市市小牧町。2012年に新名神高速道路と東海環状自動車道建設に伴い、10基のうち7基が発掘調査されました。すべて終末期の横穴式石室墳と判明しました。周辺には鉄加工場の跡、竪穴式住居、掘立端建物跡が密集し、鉄製品を製作した渡来系集団の拠点と思われます。

 4号墳/七世紀前半、径11mの円墳、石室内寸5.4×1.2m、無袖式、石材は殆ど抜かれ、羨道部にわずかに残る。耳環2個、須恵器が出土

4号墳から出土した耳環

 3号墳/七世紀前半、径11mの円墳、石室は5×1.2m、左片袖式、玄室基底部と棺台が残る。須恵器が出土。

 10号墳/七世紀前半、径11mの円墳、石室は5.4×1.1m、無袖式、玄室礫床のみ残る。耳環1、須恵器が出土。

 5号墳/七世紀初め、径14mの円墳、石室は5.9×1.1m、左片袖式?、羨道左側壁が残る。耳環1、須恵器が出土。

 6号墳/六世紀末、径12mの円墳、石室は6.1×1.3m、右片袖式?、石材は全く残らず。耳環1、釵子1、須恵器出土。

 7号墳/七世紀前半、径11mの円墳、石室内寸6×1.5m、石材の保存は最も良い。羨道はハの字に開く

 7号墳/小さな川原石を積み上げた羨道右側壁、良好に残っている。基底部には大きめの石を横積みしている。

 7号墳/玄室はやや胴張り状で、床面に礫が残る。右片袖式。須恵器も良好な状態で出土した。

 11号墳/7世紀中頃の径9mの円墳。小石室の床面に仕切石が残る。石室入口前に祭祀用須恵器の破片が出土。


久留倍遺跡古墳群

 四日市市大矢知町、2006年に国道1号線北勢バイパス建設に伴う調査で、奈良時代の役所跡である久留倍遺跡のさらに下層から4基の古墳が見つかりました。いずれも径13〜15mの円墳で、周溝のみが残っていました。役所が建てられる前の古墳時代末期には一帯は墓域だったようです。

遺構の全体像。下(南)の方に円墳の周溝が見える

隣接する古墳の周溝

奈良時代の役所の倉庫跡


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