群馬県吉岡町の古墳


滝沢古墳 【町史跡】

 吉岡町下野田滝沢にありましたが、関越自動車道の建設に伴い、現在は吉岡町役場の南側に移築保存されています。径12mの円墳で、二段築成。川原石と軽石を葺石に使用し、浅い周溝が巡ります。横穴式石室は全長5.5m、玄室長2.7m、幅1.8mの両袖式で、自然石乱石積みですが、玄門部には切石を使用しています。石室前には前庭部がハの字に開いています。側壁の一部を鑿で削っており、加工法からみても終末期の築造と思われます。役場で石室の鍵を借りられるそうですが、ちょうど休日だったため、諦めました。

石室が大木の下に開口

石室内部、小さいが立派な造りです


穴薬師古墳

 吉岡町大久保、吉岡中学校すぐ東の県道15号線脇にあります。道路に近すぎて、つい、見逃すところでした。自然石乱石積みの小型の横穴式石室が道路脇の大木の下に露出、開口しています。

石室が大木の下に開口

石室内部


三津屋古墳 【管理人推薦】【町史跡】

 吉岡町大久保2037、駒寄交差点の南300m、「三津屋古墳入口」バス停から少し西に入った住宅街の中に整備保存されています。東日本ではおそらく唯一の、一辺9m、対角長23.8m、高さ4.5mの正八角形墳で、二段築成、周堀が巡ります。下段には縁に列石が並び、上段には、急角度の斜面に葺石がびっしり葺かれていました。角コーナーには目地石が直線状に積まれ、稜角を強調しています。墳丘の上段、下段、周堀が唐尺の20尺、30尺、40尺に設定されているそうです。主体部は横穴式石室ですが、石材がほとんど抜き取られていました。石室開口部前には前庭部が台形状に開いています。現在復元された墳丘内部がそのまま石室跡の見学施設となっていて、墳丘の断面の版築工法も見学可能です。七世紀後半の築造と思われます。

石室正面

墳丘、背後から

内部の玄室奥壁

玄室上から


源平山古墳

 吉岡町大久保、県道15号線バイパスの「源兵衛山古墳入口」バス停のすぐ西、ファームドゥの北200mにあります。墳丘は薮に覆われてよくわかりませんが、径20mくらい?の円墳かと思われます。横穴式石室は南に開口し、羨道は右側壁しか残っていませんが、玄室は完存。長さ2.5m、幅2m、高さ1.9mの両袖式で、奥壁の積み方やどっしりとした玄門に個性を感じます。

石室は近くに行かないとわかりにくい

石室正面

玄室奥壁、ユニークな積み方

豪快な玄門


南下古墳群 【管理人特選】【県史跡】

 吉岡町南下の丘陵上にあり、かつては40基以上の古墳が存在しましたが、現在は9基のみが残り、うち5基の石室が見学できます。現存する石室はそれぞれ構造、築造時期が異なっており、同じ古墳群の中での変遷を見て取れます。E号墳のそばに案内図がありますが、ちょっとアバウトです。

  古墳の分布図、左が北。

 南下A号墳

 径27mの二段築成の円墳で、葺石、埴輪は確認されていません。真南に開口する横穴式石室は、玄室長3.25m、幅2.4m、高さ2.4m、羨道長3.25m、幅1.58m、高さ1.58mの両袖式です。美しい截石切組積みで、主に角閃石安山岩を直角に加工して精巧に組み合わせています。特に玄門と冠石の加工が見事です。石材には作業時の朱線が残っています。七世紀後半の群馬を代表する終末期古墳です。

石室正面

羨道、玄門の加工が素晴らしい

玄室奥壁、隅に漆喰が残る

奧から玄門部

玄門上に残る漆喰

右側壁の見事な切組み

 南下B号墳

 径30mの円墳と推定され、埴輪、葺石は確認されていません。主体部は自然石乱石積みの横穴式石室で、一部切組手法が見られます。玄室長3.45m、幅2.5m、高さ3m、羨道長3.74m、幅1.4m、高さ1.2mの群中最大の両袖式で、側壁を持ち送って高い空間を築いています。玄門部には切石を使用し、石材の隙間には漆喰が残っています。A、E号墳に先行する七世紀中頃の築造と考えられます。

石室開口部

石室正面

みごとな玄門

玄室奥壁、一部に切組手法が見られる

玄門奧から、左袖石に切込みあり

石材の隙間に残る漆喰

 南下C号墳

 丘陵頂部に築かれた径19mの円墳で、埴輪片が見つかっています。横穴式石室は東向きに開口する自然石乱石積みの無袖式ですが、突出していない袖石らしきがあります。全長6.15m、幅1.58m、高さ1.36mの狭長な石室で、六世紀後半、群中では最古の古墳と思われます。

現在、整備された駐車場のすぐ横

石室開口部

玄室奥壁

玄室奥から、左側壁に袖石らしきあり

 南下D号墳

 径13mの円墳と思われますが、墳頂が建物のために削平されています。埴輪、葺石は見つかっていません。横穴式石室は、薮に覆われてわかりにくいですが、南西に開口し、玄室長2.7m、幅1.5m、高さ1.8m、羨道長3.5m。幅1.1m、高さ1m、自然石乱石積みの両袖式です。床面が少し埋まっていますが、C号墳と比べると、大型化しており、自然石で玄門も築いています。七世紀中頃、A号墳に先行すると推定されています。

石室正面、閉塞石が残っている

羨道、開口部

玄室奥壁

玄室奥から、両袖式

 南下E号墳

 径17mの円墳か方墳で、葺石、埴輪は確認されていません。横穴式石室が南西に開口、羨道は半壊していますが、玄室は完存しています。玄室長2.76m、幅2.13m、高さ1.71mの両袖式で、A号墳よりは小型ですが、截石切組積みの見事な構造です。壁面は榛名山の角閃石安山岩、天井は硬質の安山岩を使用し、一部の石材に作業時につけられた朱線が鮮やかに残っています。築造時期はA号墳の少し後の七世紀末の築造と推定されています。

石室正面

石室開口部、羨道はかなり失われている

玄室奥壁、見事な切石の組合せ

玄室奧から

左側壁の切組み

右側壁の朱線

 大林1号墳(南下F号墳)

 案内図の中で、名前の表示がなかった古墳。昇寛さんより大林1号墳との情報有り。

 


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