岐阜県養老町・海津市の古墳


象鼻山古墳群

 養老町橋爪、関ヶ原の戦いで有名な南宮山の南端の支脈である象鼻山一帯に展開する62基の古墳群です。前方後方墳2、方墳17、円墳40、その他3基からなり、三世紀末から六世紀にかけて築造されました。1号墳は最高所に位置する全長40.1mの前方後方墳で尾根上を一度整地した上に盛り土で築かれています。出土した二重口縁壷などから三世紀末頃の東海地方でも最古級の古墳と見られます。その奥に2号墳、手前に3号墳があり、3号墳は2004年に調査されました。

1号墳墳丘

1号墳墓坑

1号墳出土土器

山頂付近に群集する方墳群

3号墳、葺石の状況

 奥に4号墳


千人塚古墳群

 養老町養老1228-2、県道56号養老公園東交差点から西へ200mの三叉路に1号墳があります。千人塚古墳群6基のうち、1号古墳は養老地域では最大の古墳で、2020年の調査の結果、周溝を確認し、径35mの円墳であることがわかりました。出土した埴輪片から築造時期は五世紀末〜六世紀初め頃と思われます。また、すぐ北東にある小さな高まりは古墳であることがわかり、新規に6号墳と命名されました。1号墳の200m南の道路沿いに2号墳があります。他は背後の山林内に分布しています。

1号古墳墳丘、手前に周溝が埋まっていた

1号古墳葺石

新発見の6号古墳

2号古墳


円満寺山古墳群

 海津市南濃町庭田の円満寺裏山の山頂にあります。裏山一帯は広大な円満寺霊苑として開発されていますが、舗装道路の最高所まで登り、そこから山林内を徒歩で左の方へ登っていった標高96mのピークに1号墳【県史跡】があります。全長60mの前方後円墳で、竪穴式石室が露出しています。全長4.67m、幅0.9〜1.2m、山の上なのに川原石で築かれています。内部には木棺が納められていたようです。神獣鏡が三面出土しており、四世紀後半ころの築造と思われます。

南側から

北側から

 尾根沿いに北へ進むと、2、3号墳があり、2015年に範囲確認調査が行われました。2号古墳は南北15m、東西12mの楕円形墳で、墳丘上部の盛り土がかなり流失していました。主体部は木棺直葬です。3号古墳は系0mの円墳で、地山を整形した上に盛り土で築かれています。主体部はほぼ中央に木棺が直葬されていましたが、もう1基ある可能性があります。

2号古墳

2号古墳の主体部

3号古墳

3号古墳の主体部


東天神古墳群 【市史跡】

 海津市南濃町駒野奧条入会地、旧南濃町役場から東天神社周辺に分布する18基からなる古墳群ですが、役場の敷地内の古墳はすべて消滅し、神社境内にある5基のみ現存しています。1号墳は東天神社本殿後ろにある径39mの円墳か前方後円墳で、主体部は木棺直葬、画文帯神獣鏡が出土しています。2号墳は鳥居そばの摂社若苗神社のあるマウンドで、径6.8mの円墳です。県道を挟んで北側にある稲荷神社境内に4号墳があります。径33mの大きな円墳です。3、5号墳は山神神社境内にあるらしいのですが、場所がわかりません。

1号墳

2号墳

4号墳


出来山3号墳 【管理人推薦】【市史跡】

 海津市南濃町吉田の吉田出来山公園(桜の名所らしい)南側の果樹園内にあります。標高105mの養老山脈東斜面に築かれた古墳で、現在横穴式石室が、石垣の間に開口していて、内部の保存はかなり良好です。全長7.35m、玄室長4m、幅1.8m、高さ1.5mの両袖式で、小型の自然石を持ち送って積み上げた玄室はやや胴張りで、羨道幅が極端に狭くなっています。玄門部が変わっていて、実際の袖部よりも広い間隔で袖石が立てられていて、閾石とともに玄門を構成しています。羨道が破壊されているらしいので、あるいは袖石から外側は後世の物なのかも知れません。

石垣の間に石室が開口

玄室奥壁

玄室奥から玄門部

特異な構造の玄門部


狐平古墳 【市史跡】

 海津市南濃町境、旧南濃町の南端。国道258号線境交差点あたりから、西へ約1km山を登っていくと、大日如来の小さなお堂があります。山道を挟んで、その前に石室が開口しています。標高130mの山の中腹にあり、石室の上を山道が通っていて、墳形は不明ですが、石室は割と良く残っています。現存長4.7m、幅1.2m、高さ1.5mほどの小石室で、羨道部は崩れています。

山道の下に石室がある

石室正面

玄室奥壁

奥から外


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