福岡県行橋市南部の古墳


隼人塚古墳 【管理人推薦】【市史跡】

 行橋市高瀬239、勝手神社南200mの民家内にあります全長39m以上、後円部径17m以上の前方後円墳で、後円部に大型の複室構造の横穴式石室が完存しています。後室長4m、幅2.2m、高さ3.6m、前室長1.6m、幅1.2m、高さ2.78m、羨道長1.4m、幅1.37m、高さ1.3mの規模で南に開口、巨石を使用し、床面委は礫が敷き詰められています。六世紀後半に築造され、七世紀前半まで追葬が行われたことがわかっています。それにしても、複室構造の横穴式石室が完存する後期前方後円墳を所有する家って・・・養子に入りたいです。

石室入口

羨道から前室

前室から後室

巨大な後室奥壁

後室の奧から、玄門が高い

前室から入口方向


ヒメコ塚古墳

 行橋市南泉四丁目、国道496号線近くに存在していましたが、東九州自動車道の建設予定地にかかってしまったために2010年度に発掘調査され、その後消滅しました。墳丘は径22mの円墳で、版築工法で築かれ、周濠が巡ります。主体部は単室の横穴式石室で、全長9.9m、玄室長3.2m、幅2.3m、高さ3mの両袖式、羨道は側壁の一部と天井を失っていますが、ハの字に開き、長い墓道も検出されました。床面には礫が敷き詰められ、排水溝も設けられていました。六世紀後半に築造され、七世紀中頃まで追葬が行われていたようです。鏡石、天井石、腰石、袖石、見上石はいずれも巨大な花崗岩で、特に鏡石は平滑に加工されています。まさに首長墓に相応しい内容といえますが、これだけの古墳が調査後、破壊されてしまうこと自体最近ではめずらしいですね。

調査前の姿、手前には民家があった

石室開口部、激狭

玄室奥壁

玄門部

調査時の姿、羨道はかなり破壊

玄門部

羨道側壁

玄室奥壁、巨大な一枚石

玄門、奧から、玄室は完存

周濠


稲童古墳群

 出土品が重要文化財。行橋市稲童の海岸近くに広がる古墳群で、25基からなります。前期から後期にかけて長期間にわたって古墳が造営され、現在でも多くが現状保存されています。最も北側には20号墳を中心として、17〜25号墳が近接して分布しています。20号墳は全長68m、後円部径58m、前方部幅20mの帆立貝式古墳で、二重の周溝が巡っています。円筒埴輪、葺石が認められ、五世紀中頃の築造と思われます。

北端の支群分布図

20号墳の測量図

20号墳

18号墳

 漁港の背後の丘陵上にも古墳が点在しています。このうち、8号墳は、径19mの円墳で、主体部は竪穴系横口式石室です。

7号墳

8号墳

9号墳


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