鳥取県湯梨浜町の古墳


北山古墳 【国史跡】

 

 湯梨浜町(旧東郷町)野花、東郷池の南端に面した丘陵先端にあります。全長110m、後円部径70mの山陰地方最大級の前方後円墳です。葺石、埴輪が見つかっていて、後円部の墳頂には巨大な盗掘坑が開いています。主体部は竪穴式石室と箱式石棺で、箱式石棺が盗掘坑に露出しています。内部は赤く彩色されています。

古墳への登り道

後円部墳頂の盗掘坑、左に箱式石棺が見える

後円部の箱式石棺

箱式石棺内部、赤色が残る


橋津(馬ノ山)古墳群 【国史跡】

  

 湯梨浜町(旧羽合町)上橋津、東郷池の北側、日本海に面した馬ノ山の山上一帯に分布する古墳群で、前方後円墳5基、円墳19基からなりますが、現在は25号墳まで存在します。1〜12、14、21号墳が国史跡です。馬ノ山一帯は現在「ハワイ・馬ノ山公園」として整備されています。山の北西麓に湊神社があり、その背後の丘陵上に1〜3号墳があります。1号墳は33×30mの大型円墳で、墳丘上が削られ、現在忠魂碑が建てられています。北側にある2号墳は全長68m、後円部径30mの前方後円墳で、群中二位の規模ですが、未調査です。その東隣にある3号墳は径30mの円墳ですが、墳丘がかなり削られています。現在墳丘上は墓地となっています。1号墳の南側には、馬ノ山公園の整備事業時に発見された25号墳があります。墳丘はすでになく、横穴式石室の基底部のみ残っていて、現在は埋め戻されています。

1号墳

2号墳、後円部

3号墳

25号墳

 2、3号墳のある尾根筋のさらに東に4、5号墳が並んでいます。4号墳は推定全長110m(現状は88m)、後円部径58mの四世紀の前方後円墳で、群中最大規模です。埋葬施設は後円部中央に竪穴式石室2基、前方部に箱式石棺4基が見つかっています。東となりの5号墳(お経塚)は全長38mの前方後円墳で、上部は削平されて石碑が建てられています。主体部は箱式石棺です。

4号墳

4号墳後円部、現在植林されている

5号墳の墳頂

 海側の道路を登っていくと、日本海を望む道路沿いに6、7号墳が並んでいます。西側の6号墳は23×16mの円墳です。7号墳は径16mの円墳で、墳頂は陥没しています。6号墳の標柱にはなぜか7号墳と書かれています。さらに道路の先には8号墳があります。全長41m、後円部径23mの前方後円墳で、海に向かった前方部はかなり削平されていそうです。未調査のため、詳細は不明です。

6号墳(7号墳から見る)

7号墳、右奧は6号墳

8号墳後円部

8号墳、後円部から見た前方部

 展望台をスルーして、道路を進むと9号墳があります。径24mの円墳で、横穴式石室が露出していますが、前側は破壊されています。玄室長3m、幅2.4m、羨道長1.5m以上、幅1.5mの大きさで、天井石はなかなかの巨石です。

9号墳

9号墳石室正面

9号墳石室内部

 9号墳のすぐ南、馬ノ山山頂にあるのが10号墳です。径34mの円墳で、内部主体は箱式石棺です。馬ノ山の南西端にあるのが12号墳で、径35mの円墳で、かなり破壊されています。

10号墳

12号墳


長瀬高浜第1号墳

 湯梨浜町(旧羽合町)はわい長瀬、天神浄化センターの南東隅にありますが、センターの建設により、調査後、現在地に移設復元されました。径33mの円墳で周溝、葺石があります。墳丘の中央に組合せ式箱式石棺が置かれていました。石棺内部は赤く彩色されていました。出土した人骨から被葬者は30歳前後の女性と推定されています。古墳の周囲には14基の小型箱式石棺と埴輪棺が発見され、そのうちの4基が古墳そばに置かれています。

復元された墳丘

主体部の箱式石棺

赤く彩色された箱式石棺内部

小型の箱式石棺群


太平山173号墳

 湯梨浜町(旧東郷町)門田、太平山の山上の太平山公園内にあります。全長27mの帆立貝式古墳で、周溝はありません。墳丘はかなり削平されていて、遺跡ウォーカーでは消滅とされています。

 太平山公園案内図

太平山173号墳

シャミセン塚古墳(太平山171号墳)

 太平山古墳群は湯梨浜町と倉吉市の両市町にまたがって分布していますが、シャミセン塚古墳(171号墳)は173号墳近くの道路沿いにあり、位置的には倉吉市になります。全長45m、後円部径38mの前方後円墳で、墳丘には大きな盗掘坑があり、石材が露出しています。ほかの古墳はよくわかりません。

道路脇にある

大きな盗掘坑、石材が見えている

露出した石材


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