京都府城陽市の古墳


久津川古墳群

 

 久津川車塚古墳 【国史跡】

 城陽市平川、近鉄久津川駅の東400mにあります。墳丘全長183m、後円部径113mの前方後円墳で、三段築成、二重の周濠が巡り、全体の長さは280mにも及びます。1894年のJR奈良線の工事で後円部中央から巨大な石棺と、その両側に小竪穴式石室が見つかりました。石棺は竜山石製の長持形石棺で、現在は京都大学に保存されており、京都府立山城郷土資料館にレプリカが展示されています。現在はJR奈良線によって東側が破壊され、周濠は完全に埋められていますが、南山城の王墓に相応しい五世紀中頃の堂々たる大型前方後円墳です。北側に一部重複して梶塚古墳が存在しますが、現在は確認できません。

巨大な墳丘

巨大な石棺(山城郷土資料館の複製品)

 ◆芭蕉塚古墳 【市史跡】

 城陽市平川の県道69号線(旧国道24号線)沿いイズミヤの向かいにある全長110m、後円部径59mの前方後円墳で、群中では車塚古墳に次ぐ規模です。周濠の一部が残っています。

 

 青塚古墳

 城陽市平川、イズミヤの南の駐車場前にあります。全長49mの前方後方墳ですが、東側の前方部だけが残っています。

 

 丸塚古墳 【国史跡】

 城陽市平川、車塚古墳の東200mの住宅地にあり、周囲は公園となっています。全長104mの帆立貝式古墳で周濠が巡ります。なかなか保存状態が良さそうです。高さ1mの巨大な家形埴輪が出土しました。

 

下大谷古墳群

 城陽市丸塚古墳北側の丘陵上にはかつて西山古墳群が存在しましたが、宅地開発で消滅しました。そのさらに北側に下大谷古墳群(2基)があり、現在は1号墳だけが住宅地の中の高台に現地保存されています。一辺18mの方墳で、主体部は粘土槨と埴輪円筒棺でした。

 

上大谷古墳群

 城陽市久世上大谷の丘陵上に築かれた20基の古墳からなり、現在は住宅地の中の4ヶ所の公園内に11基(内1基は移築)が保存されています。東端の公園内には1〜5号墳があります。1号墳は全長33mの前方後方墳、2号墳は径16mの円墳、3号墳は径16mの円墳、4号墳は径14mの円墳、5号墳は径14mの円墳です。いずれも主体部は詳細は不明です。

  アミが保存された古墳

右端の公園に8号墳、中央に14号墳、左上に1〜5号墳、左下に17〜20号墳

1号墳

2号墳

3号墳

4号墳

5号墳

 8号墳は西端の公園にある全長33mの前方後方墳で、後方部に盗掘坑が見られます。前方部が低く、前期の築造と見られます。14号墳は中央の緑地にある一辺18mの方墳で、周溝はコの字形をしています。後期の築造です。

8号墳

14号墳

 1〜5号墳の北側にある公園内に移築された17号墳石室と18〜20号墳があります。17号墳は径13mの円墳で、すでに消滅しましたが、石室のみ移築保存されています。全長9m、玄室長4m、幅3.5mと説明板に書かれていますが、幅はどうみても2mほどしかありません。18〜20号墳はすべて円墳ですが、未調査で現状保存されているため、詳細は不明です。

17号墳移築石室

18号墳

19号墳

20号墳


芝ヶ原古墳群

 城陽市芝ヶ原の久世小学校周辺に分布する中期の古墳群で、前方後円墳2、円墳9、方墳2基からなり、学校内、緑地、宅地の中に現在もかなりの古墳が保存されています。久世小学校の中庭にある9号墳は径25mの円墳で埴輪がみつかっています。学校入口南側に林の中にある6号墳は全長45mの前方後円墳です。学校の北東400mにある13号墳は一辺20mの方墳で、緑地として現地保存されています(説明板には円墳となっている)。12号墳は国史跡で出土品は重要文化財です。

  芝ヶ原古墳群分布図(旧地形)

9号墳

6号墳

13号墳

 芝ヶ原古墳 【国史跡・出土品は国重要文化財】

 旧芝ヶ原12号墳、国史跡、出土品は重要文化財。19m×21m×3.4mの後方部に前方部がつく前方後方墳ですが、前方部は削平されていました。埋葬施設は木棺直葬で、墳丘上には礫を敷き、その上に供献土器が置かれていました。棺内からは銅鏡、銅釧、勾玉、管玉などが出土。土器、鏡、釧は古い様相を示し、庄内期後半の定型化以前の様相を示しているということで、発掘時、大変話題になりました。古墳は、整備のための用地買い取り価格が高すぎるとして市民に裁判を起こされましたが、一応決着し、現在史跡整備の工事が行われています。

 

 2013年4月に保存整備工事が完了し、芝ヶ原古墳公園としてオープンしました。

古墳の位置、久津川古墳群のド真ん中

公園案内図

古墳は、最も高い位置にあります

復元された後方部。前方部はすでに削平されていました


尼塚古墳群

 城陽市尼塚の住宅地の中に点在しています。尼塚古墳は尼塚第7幼児公園の中に一部保存されている四世紀終わり頃の40m×37mの方墳で、主体部は粘土槨に割竹型木棺が納められていました。1〜5号墳は消滅。6、7号墳は尼塚の北東500mに現状保存されています。6号墳は径15mの円墳で、かつて石釧が出土しています。7号墳は径15mの円墳で、主体部は木棺直葬です。

尼塚古墳群分布図(旧地形)

尼塚古墳

6号墳

7号墳


黒土古墳群

 城陽市中黒土の中天満神社境内に1号墳、背後の林の中に2〜10号墳があります。1号墳は市史跡に指定されている1999年に調査された径26mの円墳で、主体部は大型の横穴式石室です。全長9.7m、玄室長4.9m、幅2.47m、高さ3.8m、羨道長4.5m、幅1.3mの両袖式で、玄室はやや胴張り状で高さがかなりあり、珪石、ホルンフェルス、花崗岩を使用しています。土器、馬具、鉄鏃のほか、石棺片と見られる凝灰岩の破片が見つかっています。天井石は明治時代に外されたようです。六世紀後半の中頃の築造と見られます。他の古墳は、状態が良くなく、内容も不明です。

1号墳

1号墳石室実測図

1号墳横穴式石室(調査時の姿)

1号墳石室天井石


茶臼塚古墳

 城陽市と井手町の境界線上にあり、2012年の開発に伴う調査で、大型の横穴式石室が発見されました。上半分と玄室石材の多くを失っていますが、全長12m、玄室長4.5m、幅2m、羨道長7.1m、幅1.5mの両袖式で、石材は花崗岩やホルンフェルスの巨石を余り加工せずに使用しています。床には礫が敷かれていて、排水溝の痕跡もありました。墳丘は後世にかなり改変されていますが、径20mくらいの円墳と思われます。出土した須恵器の破片から六世紀終わり頃の築造で、六世紀中頃の巨石墳である、黒土1号墳に続いて築かれた首長墓です。石室は移築保存される予定です。

全長12mの大型石室

石室正面

玄室奧から、かなり石を抜かれている

玄室から羨道、袖部はほとんどない


寺田石棺仏(歯痛地蔵)

 城陽市寺田、近鉄寺田駅の北東100m、京都信用金庫北側の路地を入ったところにあります。京都府唯一の石棺仏で、1.7m×1mの石棺の底石に釈迦如来座像を浮彫していて、両端部には溝も残っています。鎌倉時代頃の作風で、以前は用水路の橋に使用されていたため、橋板地蔵と呼ばれていたのが、いつのまにか歯痛地蔵に変化し、現在も信仰されています。地蔵と呼ばれていますが、内容は釈迦如来です。


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