京都府城陽市北部の古墳
■久津川古墳群
◆久津川車塚古墳 【国史跡】
城陽市平川、近鉄久津川駅の東400mにあります。墳丘全長183m、後円部径113mの前方後円墳で、三段築成、二重の周濠が巡り、全体の長さは280mにも及びます。1894年のJR奈良線の工事で後円部中央から巨大な石棺と、その両側に小竪穴式石室が見つかりました。石棺は竜山石製の長持形石棺で、現在は京都大学に保存されており、京都府立山城郷土資料館にレプリカが展示されています。現在はJR奈良線によって東側が破壊され、周濠は完全に埋められていますが、南山城の王墓に相応しい五世紀中頃の堂々たる大型前方後円墳です。北側に一部重複して梶塚古墳が存在しますが、現在は確認できません。
|
|
2015年の発掘調査で、西側くびれ部で埋没していた方形の造り出しが見つかりました。上面で南北20m、東西12mの大きさで、裾には葺石が良好に残っていました。上面は円筒埴輪列で方形に区画していますが、墳丘側に1ヶ所埴輪列が行き違う場所があり、入口と思われます。兵庫県の行者塚古墳に類例があります。南寄りに埋葬施設と思われるエリアがあり、その位置から家形埴輪、柵形埴輪、靭形埴輪が見つかりました。またその北側には土器が集中するエリアがあり、祭祀空間と思われます。
|
|
|
|
|
|
2016年には、くびれ部と造出しの間の谷間を全面的に検出しました。葺石が良好に残っており、作業用の区画石列が背骨と肋骨のような状態で明瞭に認められます。また、後円部よりに1m四方の平坦部があり、導水施設を模した形象埴輪片が集中していました。とくに囲形埴輪は山形突起が水平方向にも設けられた特異な形状をしていました。造出しでは埋葬施設の確認が行われ、木棺跡の陥没が見つかりました。
|
|
|
|
|
|
◆芭蕉塚古墳 【市史跡】
城陽市平川の県道69号線(旧国道24号線)沿いイズミヤの向かいにある全長110m、後円部径59mの前方後円墳で、群中では車塚古墳に次ぐ規模です。周濠の一部が残っています。
◆青塚古墳
城陽市平川、イズミヤの南の駐車場前にあります。全長49mの前方後方墳ですが、東側の前方部だけが残っています。
◆丸塚古墳 【国史跡】
城陽市平川、車塚古墳の東200mの住宅地にあり、周囲は公園となっています。全長104mの帆立貝式古墳で周濠が巡ります。なかなか保存状態が良さそうです。高さ1mの巨大な家形埴輪が出土しました。
■下大谷古墳群
城陽市丸塚古墳北側の丘陵上にはかつて西山古墳群が存在しましたが、宅地開発で消滅しました。そのさらに北側に下大谷古墳群(2基)があり、現在は1号墳だけが住宅地の中の高台に現地保存されています。一辺18mの方墳で、主体部は粘土槨と埴輪円筒棺でした。
■上大谷古墳群
城陽市久世上大谷の丘陵上に築かれた20基の古墳からなり、現在は住宅地の中の4ヶ所の公園内に11基(内1基は移築)が保存されています。東端の公園内には1〜5号墳があります。1号墳は全長33mの前方後方墳、2号墳は径16mの円墳、3号墳は径16mの円墳、4号墳は径14mの円墳、5号墳は径14mの円墳です。いずれも主体部は詳細は不明です。
アミが保存された古墳
|
|
|
|
|
|
8号墳は西端の公園にある全長33mの前方後方墳で、後方部に盗掘坑が見られます。前方部が低く、前期の築造と見られます。14号墳は中央の緑地にある一辺18mの方墳で、周溝はコの字形をしています。後期の築造です。
|
|
1〜5号墳の北側にある公園内に移築された17号墳石室と18〜20号墳があります。17号墳は径13mの円墳で、すでに消滅しましたが、石室のみ移築保存されています。全長9m、玄室長4m、幅3.5mと説明板に書かれていますが、幅はどうみても2mほどしかありません。18〜20号墳はすべて円墳ですが、未調査で現状保存されているため、詳細は不明です。
|
|
|
|
城陽市芝ヶ原の久世小学校周辺に分布する中期の古墳群で、前方後円墳2、円墳9、方墳2基からなり、学校内、緑地、宅地の中に現在もかなりの古墳が保存されています。久世小学校の中庭にある9号墳は径25mの円墳で埴輪がみつかっています。学校入口南側に林の中にある6号墳は全長45mの前方後円墳です。学校の北東400mにある13号墳は一辺20mの方墳で、緑地として現地保存されています(説明板には円墳となっている)。12号墳は国史跡で出土品は重要文化財です。
芝ヶ原古墳群分布図(旧地形)
|
|
|
◆芝ヶ原古墳 【国史跡・出土品は国重要文化財】
旧芝ヶ原12号墳。19m×21m×3.4mの後方部に前方部がつく前方後方墳ですが、前方部は削平されていました。埋葬施設は木棺直葬で、墳丘上には礫を敷き、その上に供献土器が置かれていました。棺内からは銅鏡、銅釧、勾玉、管玉などが出土。土器、鏡、釧は古い様相を示し、庄内期後半の定型化以前の様相を示しているということで、発掘時、大変話題になりました。古墳は、整備のための用地買い取り価格が高すぎるとして市民に裁判を起こされましたが、一応決着し、現在史跡整備の工事が行われています。
2013年4月に保存整備工事が完了し、芝ヶ原古墳公園としてオープンしました。
|
|
|
|
城陽市尼塚の住宅地の中に点在しています。尼塚古墳は尼塚第7幼児公園の中に一部保存されている四世紀終わり頃の40m×37mの方墳で、主体部は粘土槨に割竹型木棺が納められていました。1〜5号墳は消滅。6、7号墳は尼塚の北東500mに現状保存されています。6号墳は径15mの円墳で、かつて石釧が出土しています。7号墳は径15mの円墳で、主体部は木棺直葬です。
|
|
|
|